2013年 07月 01日
『思い出』 booの泣いた姿
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更新が遅くなってすみません。
平日で(親の手伝いがない時の)男3人での生活はまーーーーーゆとりがない。
(そんな状況なので普段は私の母親がよくうちに来て手伝ってくれるのですが)
なかなかブログの更新が出来ずにいました。(多分今後も更新は遅そうですが。。。)
しかも今週末は久々に私の実家に帰っていたりしましたので。
実家は海老名なのでそんなに遠くはないですが車で1時間30分~2時間。
早く圏央道開通してくれ~。
前回がbooの前で泣かない理由の詳細を書きそびれたので。。。
とは思ったのですが「思いがけず~」のブログでもそこら辺は触れていたりするんですね。
なのでダンナ側からの視点を込みにした『思い出』として
まず性格上としてbooがつらくても痛くても泣き言を言わないタイプの人。
会社の先輩からはbooは本当に会津の女(八重の桜)だね。と言われたりしました。
私は大河ドラマを見ていないので何とも言えませんでしたが。。。なんとなく分かります。
そんなbooの涙(結婚式などは除く)については乳がんが分かった日の電話。。。
私も一緒に行く!との主張を頑なに拒否をされ、そして仕事が手に付かないままお昼
ごろに・・・泣きながら電話での悪い結果報告。。。
でも、さすが(会津の女?)と思ったのがその後すぐに会社を早退して会ったら一切
そんな素振りを見せませんでした。
そして私自身が一番「私も泣かない」と決めたのがS国際大学でセカオピをした際に
Y先生(女性・子供あり)から言われた
「大変だったね。」
の一言。その言葉は同じお母さんとして。。。そして二人目の子供を産もうとすること
への不安に対しての言葉でした。病気についてではなく温かく迎えるような第一声
に対してbooは大粒の涙を流しました。そんな私も後ろで半泣き状況で聞いていたら
booからの一言
『あ~絶対にダンナの前だけでは泣きたくなかったのに。。。』
う~ん・・・ダンナのまえ「だけ!?」って・・・
普通は逆(ダンナの前だけでは泣く)だよな・・・
一瞬思ったりもしましたが、なんとなくbooらしい。前に書いた「平等」もあるんでしょうが
多分私の性格(ややネガティブ?)もあって心配かけたくなかったのでしょう。
私もbooが頑張っているのに私が泣くなんて。。。
「負けていられない」という気持ちと「不安な姿を見せたくない」という気持ちがあって
『相手の前では泣かない』
ことを心がけました。
二男には「ごめん」ですが乳がんが分かってJ大病院の先生から「まず手術」との方針が
出ていたこと。そして「残念だけど子供は諦めて治すことに専念」という周りの意見に対
して「(自分がどうなっても)絶対に二男を優先させる!!」との強い意志がありました。
確かに堕ろすことが月数的にも難しかったかもしれませんがbooにはその選択肢は
最初からなかったので本人の意思を尊重することとなりました。
やはり「母は強し」ですかね。。。
そんな二男だからでしょうか?どちらかというと長男が私に似ているのに対して二男
は母親似のような気がします。
そんな訳で二男君よ。
「君が病気の原因ではないこと。」
「お母さんはどんな状況であっても君が生まれることだけを考えていたこと。」
ことを忘れないでね。
余談ですがこのブログを書くにあたってちょっとだけbooの「思いがけず~」のブログを
読み返してみました。(まだ最初だけしか読めなかったですが)
なんかまだすべて読み返す気にはなれないんですよね。。。
正直なところはブログにbooとの具体的な思い出を書くことになんとなく抵抗が。
あと、私が泣く時もあったのですがそれはまた今度~
平日で(親の手伝いがない時の)男3人での生活はまーーーーーゆとりがない。
(そんな状況なので普段は私の母親がよくうちに来て手伝ってくれるのですが)
なかなかブログの更新が出来ずにいました。(多分今後も更新は遅そうですが。。。)
しかも今週末は久々に私の実家に帰っていたりしましたので。
実家は海老名なのでそんなに遠くはないですが車で1時間30分~2時間。
早く圏央道開通してくれ~。
前回がbooの前で泣かない理由の詳細を書きそびれたので。。。
とは思ったのですが「思いがけず~」のブログでもそこら辺は触れていたりするんですね。
なのでダンナ側からの視点を込みにした『思い出』として
まず性格上としてbooがつらくても痛くても泣き言を言わないタイプの人。
会社の先輩からはbooは本当に会津の女(八重の桜)だね。と言われたりしました。
私は大河ドラマを見ていないので何とも言えませんでしたが。。。なんとなく分かります。
そんなbooの涙(結婚式などは除く)については乳がんが分かった日の電話。。。
私も一緒に行く!との主張を頑なに拒否をされ、そして仕事が手に付かないままお昼
ごろに・・・泣きながら電話での悪い結果報告。。。
でも、さすが(会津の女?)と思ったのがその後すぐに会社を早退して会ったら一切
そんな素振りを見せませんでした。
そして私自身が一番「私も泣かない」と決めたのがS国際大学でセカオピをした際に
Y先生(女性・子供あり)から言われた
「大変だったね。」
の一言。その言葉は同じお母さんとして。。。そして二人目の子供を産もうとすること
への不安に対しての言葉でした。病気についてではなく温かく迎えるような第一声
に対してbooは大粒の涙を流しました。そんな私も後ろで半泣き状況で聞いていたら
booからの一言
『あ~絶対にダンナの前だけでは泣きたくなかったのに。。。』
う~ん・・・ダンナのまえ「だけ!?」って・・・
普通は逆(ダンナの前だけでは泣く)だよな・・・
一瞬思ったりもしましたが、なんとなくbooらしい。前に書いた「平等」もあるんでしょうが
多分私の性格(ややネガティブ?)もあって心配かけたくなかったのでしょう。
私もbooが頑張っているのに私が泣くなんて。。。
「負けていられない」という気持ちと「不安な姿を見せたくない」という気持ちがあって
『相手の前では泣かない』
ことを心がけました。
二男には「ごめん」ですが乳がんが分かってJ大病院の先生から「まず手術」との方針が
出ていたこと。そして「残念だけど子供は諦めて治すことに専念」という周りの意見に対
して「(自分がどうなっても)絶対に二男を優先させる!!」との強い意志がありました。
確かに堕ろすことが月数的にも難しかったかもしれませんがbooにはその選択肢は
最初からなかったので本人の意思を尊重することとなりました。
やはり「母は強し」ですかね。。。
そんな二男だからでしょうか?どちらかというと長男が私に似ているのに対して二男
は母親似のような気がします。
そんな訳で二男君よ。
「君が病気の原因ではないこと。」
「お母さんはどんな状況であっても君が生まれることだけを考えていたこと。」
ことを忘れないでね。
余談ですがこのブログを書くにあたってちょっとだけbooの「思いがけず~」のブログを
読み返してみました。(まだ最初だけしか読めなかったですが)
なんかまだすべて読み返す気にはなれないんですよね。。。
正直なところはブログにbooとの具体的な思い出を書くことになんとなく抵抗が。
あと、私が泣く時もあったのですがそれはまた今度~
by boo-nya
| 2013-07-01 00:48